『痴人の愛』谷崎潤一郎

 

【あらすじ】
 電気技師の河合譲治には密かな夢があった。それは無垢な少女を立派な淑女に育てて自分の妻にすることだった。
 あるとき、譲治は浅草のカフェー(特殊喫茶)で女給のナオミと運命の出会いをする。このとき、譲治27歳、ナオミ14歳。
 譲治は洋館を借りて同居を始めるが、近代(西洋)的な自分好みの女にするどころか、無知で粗暴で素行の悪いナオミに翻弄される。
 成長して淫婦として開花したナオミは、優柔不断な譲治を騙して別の男たちと密会を重ねる。堪忍袋の緒が切れた譲治はナオミを追い出して絶交するが、理想の外見を持つナオミをどうしても忘れることができない。

 

 本書は1924年(大正13年)から翌年にかけて大坂朝日新聞と月刊誌『女性』に連載された長編小説。当時、爆発的な人気を博し、“ナオミズム”という流行語が生まれた。
 ニンフェット(9歳から14歳の少女)を性の対象としているところはウラジーミル・ナボコフの『ロリータ』と同じだが、本書は『ロリータ』の30年前に出版されていて、谷崎潤一郎の着眼点と構成力の凄さに、あらためて驚かされる。
 また、著者が後編のはしがきで「一種の『私小説』であって」と書いているとおり、ナオミには実在のモデルが存在する。谷崎の妻・千代子の実妹で大部屋女優のせい子(芸名・葉山三千子)がその人だ。

 1920年(大正9年)、世間を騒がせた『小田原事件』(細君譲渡事件)が起きる。
 この頃、谷崎とせい子は不倫状態にあったが、北原白秋の妻がふたりの関係に気づいて千代子に告げ口する。そこへ友人として佐藤春夫が介入するが、佐藤と千代が仲良くなってしまい、複雑な三角関係が出来上がる。せい子と結婚するつもりだった谷崎は、佐藤に「千代子を譲ってもいい」と言い放つ。
 その後、谷崎はせい子に結婚を断られ、佐藤に恋する妻の姿に未練が出て譲渡話をご破算にするが、けっきょく1930年(昭和5年)に離婚し、千代子は佐藤と再婚する。

 検閲が厳しい時代の作品だから、あからさまな性描写はないが、本書は紛れもない官能小説だと思う。
 主人公の河合譲治は著者の分身そのもので、谷崎潤一郎の特殊な性癖が微に入り細に入り詳細に描かれている。
 谷崎潤一郎とマゾヒズムは切っても切れない関係だが、この作品でも主人公のマゾ男ぶりが際立っている。13歳年下の小娘に対し、苦悶しながらも唯唯諾諾と従うその姿は、明治大正という男尊女卑の時代にあって異彩を放っている。
 本書が日本マゾ小説のはしりとされ、マゾッホの『毛皮を着たヴィーナス』とよく比較されるのも、よく理解できる。

 本書は寝取られ小説としての側面も持つ(谷崎は寝取られ系の小説を幾篇も執筆し、その最高傑作は『鍵』だとされる)。
 他の男たちと遊びまわるナオミとの関係を一度は断つ主人公だが、けっきょくは悪魔的な魅力に負け、渋々ながら交際を認めてしまう。
 その主人公の心理描写が生々しいのは、谷崎が妻と友人(佐藤春夫)の恋愛をコルネットとして間近で見ていた経験があったからだろう。

 

  

  

   

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