『ジュスティーヌまたは美徳の不幸』マルキ・ド・サド


ジュスチーヌまたは美徳の不幸 (岩波文庫)

 著者はマルキ・ド・サド(Marquis de Sade)。通称、サド侯爵。SMのS、サディズムは、彼の名前から採られている(Mはマゾッホ)。
 数々の暴行傷害事件を起こし、毒殺とアナルセックスの罪で死刑判決も受けた。バスティーユ牢獄をはじめとした監獄や精神病院で人生の30年間を過ごし、多くの作品はこの拘束期間中に執筆された。

 サドの代表作には『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』『アリーヌとヴァルクールあるいは哲学小説』『閨房の哲学』などがあるが、そのなかでも双璧を成すのが、ジュリエットとジュスティーヌという、いろいろな意味で対照的な姉妹を描いた作品群。
 悪女ジュリエットの物語は『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え』として出版されたが、その前に完成したのが妹のジュスティーヌを主人公とした数編の小説だった。

 ジュスティーヌの物語はまず、『美徳の不運』として1787年7月にバスティーユ牢獄内で書かれた。
 1791年、51歳のサドは『美徳の不運』に手を加え、2倍以上の文量となった『ジュスティーヌまたは美徳の不幸』を出版する。
 しかし、サドはこれに満足せず、さらに文章を書き足して改訂版を出版し、1799年には決定版ともいうべき『新ジュスティーヌ』を刊行する。
 最近の研究で、『美徳の不運』の草稿が発見され、最初の構想と『美徳の不運』との間に、かなりの差違があることがわかった。また、サドが『新ジュスティーヌ』発刊後もテキストの修正に勤しんでいたことも判明した。

 本書は、作品群3段階の第2段階にあたる長編小説。
 大銀行家の娘としてパリの修道院で生活していたジュスティーヌ (Justine) だが、12歳のとき実家が破産し、父は逃亡し母は悲嘆に暮れて死んでしまう。
 3歳上の姉ジュリエットから放蕩に身を任すよう勧められるが、ジュスティーヌは姉と縁を切り、誠実な人生を歩むことを決意する。
 しかし、美徳を信奉する内気な彼女に、悪徳者がつぎつぎと襲いかかり、ついには濡れ衣を着せられて殺人・窃盗・放火の罪で死刑を宣告される。
 その護送の道中、大金持ちのジュリエットは偶然、哀れな女囚のことを知って不幸話を聞いてみたくなり、実の妹とは気づかないまま、ジュスティーヌを呼び出して人生の軌跡を語らせる。

 “美徳は人を不幸にする”という著者の信念を、ジュスティーヌという聖少女を題材にして語ったのが本作品。サドにとって初めて出版された小説で、密かな話題を呼び増刷を重ねた。
 しかし、刊行されたといっても、作者も出版者も偽名を使っており、関係者が当局の摘発を恐れていたことがわかる。実際、サドは後年になって逮捕、投獄されている。

 官能小説としてみた場合、直接的な性的描写が少ないため、性愛文学といえるかどうかは微妙なところだが、男のサディズムと女のマゾヒズムを精神的に表現した反社会的作品とはいえるだろう。
 サドのサディズムが忠実に表現された作品は間違いなく『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え』だが、この小説を深く理解するためには本作を読む必要があると思う。

 また、ここでは『ジュスティーヌまたは美徳の不幸』を取り上げたが、第1段階の作品『美徳の不運』との間にストーリー的な違いはない。
 サドの思想に深く触れたいなら本書がオススメだし、真髄を簡潔に知りたいなら『美徳の不運』のほうがよい。
 最終版にあたる『新ジュスティーヌ』を取り上げなかったのは、完訳版がない(部分訳したものに澁澤龍彦訳の『新ジュスティーヌ』がある)ことと、地の文が独白体から叙述式に改変されているため。

 

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