初夜権

 “初夜権”{しょやけん}という言葉を初めて目にしたのは、モーツァルトが作曲したことで有名なオペラ『フィガロの結婚』の解説の中だったと思う。
 伯爵の家来であるフィガロは小間使いのスザンヌと結婚式を挙げようとしているのだが、伯爵は初夜権を復活させてスザンヌと結ばれようとあれこれ画策する、というのが話の筋。
 
 解説では初夜権について触れられていなかったので、自分で調べてみた。当時はインターネットなんてなかったから、大学の図書館で悪戦苦闘して探し出した。
 英語では『Lord’s right』。直訳すれば、領主の権利。フランス語でも『Droit du Seigneur』で、領主の権利を意味する。
 なぜ、領主の権利=初夜権かというと、中世ヨーロッパでは、結婚前の新婦に対し新郎よりも先にセックスする(破瓜する)権利を領主が持っていたから。
 決定的な証拠がないため、初夜権の存在を否定する民俗学者も少なくないが、伝聞、伝承のたぐいが山のように残されているから、それに近いことが行われていたことは間違いないと思う。
 実際、メル・ギブソン主演・監督のアカデミー賞映画『ブレイブハート』でも、初夜権を巡る暗躍が大蜂起に発展している。初夜権という語彙はヨーロッパ人にとってそれほど特殊な用語ではないのだろう。

 なら、日本では?
 数多くの古文書を読み込んだ民俗学者の中山太郎は、1928年に出版された『日本婚姻史』の中で、初夜権について〝部落の共有であった女子が共同婚から放たれて一人の特定する男子の占有に帰するために科された義務〟と定義している。日本における初夜権とは、文字どおり結婚初夜に床を供にする権利であり、通過儀礼的な意味合いが強いらしい。
 第二次世界大戦前の農村部では、夜這いがふつうに行われていたぐらいだから、処女を特別視する観念は希薄だった。当然、嫁入り前の娘がヴァージンである必要はないので、有力者へ初夜を差し出す行為に、ヨーロッパほどの価値はなかったと思う。
 また、都市部では初夜権は存在しなかったが、いわゆる“水揚げ”が初夜権に近いのかもしれない。ただ、権利を得るのに大金が必要だったところが大きく異なる。
 初夜権行使の実態については、専門家によってさまざまなヴァージョンが報告されているが、新郎の親族、新婦の男友達、式の仲人、村の長老などと結ばれるパターンが多い。現代なら完全に犯罪だが、昔の日本は性に大らかだったから、こんなことが当たり前と考えられていたのだろう。